■まずは発表の映像を鑑賞
スクリーンには舞台とほぼ実寸サイズで映像が映し出され、目の前で実際に発表が行われているようでした。
■振り返り
映像を見終えたら、見てみた感想、今回やってみた感想、経過に関する感想を何回か席替えをしながら3~4人くらいのグループでおしゃべりしていきます。
疑問や質問が出てきたら随時柏木さんや長峰さん、辻野こもんにも聞いていくことに。
Q.柏木さんの演技指導の中で、色々な動きに対して柏木さんがちょっとお話をして、それを踏まえて皆で動いていたんですが、プロの方はやっぱり少し言えば思ったように動けるものなんですか?
柏木さん(以下 柏)「稽古場経験は長峰さんの方が多いと思うから…プロの現場ってポンって言われて俳優さんは動けるものですか?」
長峰さん(以下 長)「人によりますね。劇団にもよるし。アドリブができる人とできない人がいますね。」
柏「多分なんですけど、難しいのは同じ動きを繰り返すことなんですよ。ダンサーはそういうの得意で、俳優はできる人とできない人がいますけど。やっぱりどうしても一般参加でやっていると、その動きいいなと思って“それでお願いします”って言っても、同じ動きにならないです。あれ、私どうやって動いてたっけってなるから、そこが大きい差かもしれないです。その代わり俳優だとニュアンスみたいなものが限定的になってしまうことがあって、もう少しそのニュアンスが広がったり多彩になったりするのは、こういう公募で集まっていただいた方々とやっている方が大きく見えたりして。そういう違いがある感じですかね。」
Q.自分の動きが分からないまま本番になっちゃうよりは、もう少し分かって検討するタイミングがあればもっと納得できた…という話が出ました。
柏「難しいんですけど、例えば外から見たいと思うじゃないですか。でも見れないんですよ。体の条件が違うんですよね。条件が違うから他の人でやってもらっても絶対そうじゃないんですよ。代わりにやっている人の動きを見てやっているから、絶対そうならないんですよ。そういう難しさはあるかもしれないですね。」
ー例えば、映像でちょっと見てみるとか…
柏「で、ダンスって鏡があるじゃないですか。演劇とダンスのそこが違いなんですけど、俳優は絶対それやっちゃダメです。俳優って今現在生きている人にならないといけないんです。そこに客観が入っちゃダメなんです。それは神の視点なんです。七転八倒やっているんじゃなくて、七転八倒ってこんなだよねをやってる人になっちゃうんです。そういう意味合いで、多分『外側から見る』は本当はやっちゃダメなんです。今日見ていただいているのは、終わっているからですし、こういう企画なので見たいでしょってこと。ただ途中でこういう判断をしていないのは、僕がそう言う考え方を持っているからで、もちろん違う人もいます。ただ今回は仰る通りやってもよかったなっていう瞬間は、道具が出てきて演技をさせるので、外から見ないと分からない部分もあるんで、お互いに道具を持ってもらって動きを見てみるって経験もあってもよかったかなと思います。」
辻野こもん(以下 辻)「市民館としては令和4年度のこのワークショップを柏木さんにお願いしたところというのはまさに今お話しいただいたことを期待していたところで。というのは、最近の傾向として“再現性”みたいなことが行われる世の中になって、ライブの表現というものがすごくマイナスになってきて、そこに生きるみたいなエネルギーがすごく減ってきているように感じていて。再現性を求める演劇や演出家というものも勿論あるんですが、そうではなくてこの舞台上で生きるということを重視してつくり込み…というか、その時に何が起こるか。今日だって最後のシーンで、いきなり『ちょちょんがちょん』が始まるとは、テクニカル側は誰も思ってもいなかったんだけど…。」
※エピローグの「ちょちょんがちょん!」の声がけは、当初は道具がステージに出たら言い始める予定でしたが、本番では袖にいるときから始まりました。
一同「あはは!」
辻「もう、オッケーですよ。今回に関しては『なんでもオッケーよ!』というスタンス。普通の現場ではありえないですが、予知していたので。オペレーションする側は大変だったと思いますが(笑)。今日は一回限りの生きた時間を過ごしました。」
Q.長峰さんの最初の絵本作りの印象から、柏木さんどんなストーリーにするんだろうと思いました。それとお二人は多分打合せはしていないですよね?
柏「していないです!」
一同「あははは!」
柏「トータルでどういう風に進めましょう、こっちのパートではこれやりますっていうことまでは把握しています。市民館の皆さんと大体の荒い見通しだけは立ててあるので。なんですけど、二人とも途中で誤解をしていて、絵本ができて、僕は先にエレベーションが出来てくると思っていました。長峰さんは先に台本が出来てくると思っていました。で、お互いにそろそろヤバいなって思い始めて、お互いに何も知らないまま脚本とエレベーションを作りました。それで台本書いたんでって、長峰さんと市民館のスタッフに送ったら、長峰さん気が付きませんでした。そのあと、僕のところに舞台図できましたって送られてきました。僕てっきり読んで描いているんだと思いました。で、その後に送られてきたメッセージで“私台本読んでなかったけど、案外台本通りだね“って。」
一同「あははははは!」
柏「僕も、”え!?読んでないの!?その割にはばっちりなんだけど”っていうご連絡を差し上げました。その状態で第2フェーズに入ってます。2月のオンラインのワークショップのときに、絵本を見せてもらいながらこんな感じの台本かなってずっと書いていたんですよ。割とそれのまんまなんですよね。なのでそういう意味では共有できてた、ということは大きかったかなと思います。」
長「オンラインの回のとき、同じように私は皆さんの絵を見て、絵でストーリーを構築していたのが割と一致していたってことなんですよね。本来だと台本が来て絵を描くっていう進め方なんですけど、逆に台本を読んでいたら引っ張られすぎて、もっと縮小した道具になっていたと思うんです。無かったことが自由度につながったというか…。多分間違って台本のメールを捨てちゃってたんですけど、アクシデントがあったことがむしろ良くって。皆さんの絵本がすごくよかったんで、はじめ3倍くらいの絵を選んでいたんですけど、そんなに作れないからって削って、それでもこの量で。気が付いたらライオンキングのセットくらいの量になっていて…。だからすごく結果オーライな、ミラクルな出来事が起きてしまったのがよかったなと思っていますね。こういう作り方面白いなと思いました。」
Q.質問と感想なんですけど、すごい興奮してて、今。すごく楽しかったのがさらにいろんなお話をする中で色々思うことがあって、心拍数が本番より高い(笑)
柏「よかった。正直言うと、僕ら的にはこっちが本番だから(笑)」
ーアーティストたちはすごいんですけど、私たちもまぁまぁ自分を褒めていいのかなって。疑問とか探求心もすごいから“どうしてそうなったんですか?”って質問が出てくるのも茅野市民ヤバいなと思って。どうしてこんな市民ができたんだろうと思うんですけど…自分たちをすごく褒めるといいのかなと思いました。縄文のソウルが私たちにあるということが分かってすごく感動しています。これもアーティストの力だと思うんですけど、すごくうまいこと引き出していただいたなって。
柏「ぜひ、ウェブログを読んで。終わった後インタビューされているんですが、僕ら茅野市民やべーしか言ってない。」
長「プロ市民と呼んでいます」
柏「プロ市民って違う意味もあるけどそっちじゃなくて。例えば“オエ~”のシーン(第2部の粘菌人類)を作った日。90分の時間をもらっているところ45分でできていて。だから固めるための作業ができるんですけど、案外そっちが手間取るのよ。で、そこに時間がさけるのも普段あまりない。だから市民館もヤバいし市民もヤバいし、できたものもヤバい。あと長いこと市民館に関わらせてもらって思うのは、そんな人たちじゃなかったでしょ?ってこと。もっと出てこなかったし、もっと対応までの時間が必要だったし。これが見込みよりもだいぶ早かったし、だいぶバリエーションがあった。対応力、発想力、構築力は飛び飛びで関わっているごとにどんどん上がっている。だからもっと褒めていいよ。恐ろしいのは初登場とか2回目の人たちが軽々とそれを飛び越えてくるっていう。それを含めて、恐ろしい土地だねと思います。」
ー嬉しいですね。いつものメンバーもいる中で、最近出会った方たちがこういうスピードに触れていくというか。単純にこういうものなんだって触れてくれる若い人たちがいて。こういうことが増えていくようにみんな自信を持って誘っていくといいのかなと思いました。ありがとうございました。
Q.全体のリズム感っていつごろ決まったんですか?本番の構成のしかたとか…
長「本番かぁ…今日できた感じでしたよね。まさかここまでになるとは予測していなかったので。私もなんでこんなに道具を作ってしまったんだと思って。舞台に初めて道具をのせたのは23日だっけ。本格的にやり始めたのは一昨日。そこについてくる市民の能力の高さにびっくりしていて。今日とかも本番前のときも一日経ったら忘れるよねって話していたことがちゃんとできているんですよ。それぞれがちゃんと責任もって道具を作っていたり、あと自分で絵を描いた道具だったので愛情のこもった道具になった。すごく体ともリンクしていて丁寧に扱ってくれていて…。だから色々な過程が生んだリズム。やらされている感じじゃなくて、自分がやるってなっていたのがいいリズムになったのかなと思います。」
柏「本番の話をすると、多分辻野こもんとかは、“もうちょっとスパッと!”とか思ってるはず。照明さんとかはスモークの形にまでこだわる人たちなので。で、僕も“いらち”なんです。見ながら、“早く”とか“ここはもっと遅く来て”とか思っているんだけど、演出という立場で見てて思うのは、最終的に舞台はパフォーマーのものなんです。パフォーマーがそうだというならそう。このパフォーマーがそうするなら、じゃあこうしてくれます?とか別のことを考える。こっちはそれをするためにいるんです。今回は皆さんがそうだし、出てくる道具も皆さんと同じ価値がある。だから彼らをどういう風に出すかも考えなくてはいけないということもありました。最終的には皆さんが出てくれば変わるんですよ。だから僕が書いている禅問答やナレーションは皆さんが何をしているかしか書いていないんです。そしてそれが外の世界に触れたときにどう見えるかと、それでも僕たちはここに立っていていいんだということを書いている。皆さんがそこで何かを生み出しているから、辻野さんは照明を当てるし、僕はそこに一言入れようとするんです。そこが基本なんで、僕の方でリズム感調整できてないですよ。皆さんが勝手に作っているだけ。」
★どうしてこの脚本になったのか
皆さんの質問に答える中で、柏木さんから今回の脚本がこういう話になったのはどうしてか、というお話をしていただきました。
柏「絵本をカラーでプリントしたものを見ながら、(絵の)ここを拾った方がいいかなと思いながら作ったのがあれでした。
最初のメモに何を書いていたかというと、一番最初のアイデアは『点と線、僧侶、絵師』って書いてあるんですね。その次のページには『雨、風、台風、というか嵐、太陽の光、暑さ寒さ、雷、雹』みたいなことが書いてあって、自然物をなんとかして作りたいなっていうのがきていた。で、その後『朝から始まって、昼、夜、禅問答』って書いてあるんで、粘菌の前に禅問答があります。で、『一つの点から宇宙が始まっていく、天になる、星がたくさん見える、人がたくさん見えたり、戦争があったり、人のような何かが踊っている。』こっちで粘菌がはじまりますね。『種から花が咲く、卵から蝶が生まれる』輪廻していくところをどういう風にしていこうかなって感じですね。そのあと、『ぐるぐる歩き回る、生老病死、生贄と祭り、繰り返される』って書いた後に、『菌類の繁殖』って出てくるんですよ。
だからもう最初の絵本の絵で、禅問答も天地創造も、粘菌人類もできているんですよ。後はどのくらいの尺に落とし込むかだけ。尺に入れ込みながら、次にやりながら判断をしていく展開がありました。」
・失敗といえば、初っ端の半円を置く位置を間違えたけど、映像で見たら結果オーライだったかな。(そのおかげで練習より出やすかった!という声も)
・映像を見て、光っているところとか音とか、組み立ててくださった舞台の一部として、私は参加していたんだなと思った。
・皆さんと同じ時間を共有して、道具の着脱とかを手伝ってもらったりしてそれぞれのやさしさが見えた。クラブロスになりそう。
・台本の最後の文章が素敵で、なんかこの言葉を読んだら、これからも皆と「分からないことに向かって進んでいくぞー!」っていう気持ち。
・ゲネのときに出るの忘れちゃって、本番で不安な出方をしてしまって、やっちまったって思ったんですけど、昔聞いた舞台は生ものという言葉を信じてOKにしようと思います。
・昨日初めて台本もらって家で読んだらすごいじゃんと思って。これはワークショップのレベルなの?超大作じゃんって思いました。
・出るのが遅くなっちゃってすみません…。(全然大丈夫だよ~と皆さん)
・柏木さんの頭の中見てみたいということが、長峰さんというビッグなプレゼントもついてきて。プロの仕事ってこういうことなんだと知れてとても満足です。
・絵を描くことが大嫌いだったけど、美術の方も参加して、点と線を描いたり絵本を作ったりすごく楽しかった。今回は美術嫌いが克服できて参加できてよかった。
・効果音のビルビルって音のやつ、音楽的な要素が入っていて踊りやすかったし感動した。
■最後に講師のお二人から一言ずついただきました
“柏木さん詩人ですね”なんて言われたけど、これを私に書かせたのは皆さん。皆さんの『点と線』から始まってるんです。その上で僕が読み取ったものを書きました。で、想定観客層をどこにしよう、どうアクションを起こさせようかと考えて台本を作るんですが、今回の想定観客層は皆さんです。だから、この脚本に一番感動しているのは皆さん。なので、そういう感想が出るということは“まんまとひっかかったな”ということです(笑)。
これって詐欺師のテクニックなんですよ。で、みんなハマっちゃダメよって思うんです。そういうことを明かさなければ、たぶん僕カリスマになれる、だましときゃいいって(笑)。でもヤなのよ。それって皆さんを金づるにするってことでしょ。そしたら皆さんと遊べないじゃない。でね、そういう人と遊んだほうがいいよ。見分け方(笑)。
最近“推し”って言葉があるけど、喜んで金づるになるならそれはいい。でも人って感情が動くし、そうすると疲弊するわけよ。そういう目に合わなくてよくない?今ってそういうのを巧妙に隠しながら金づるにしていく。で、フェアにやってるこういう場所が、そう思われない。遊べる場所、楽しい場所だって思われない。めんどくさくってしんどい場所だって思われたりする。でも違う、フェアなだけだよ。そういう場所といろんな人がもっと出会ってほしいし繋がってほしいなって僕は思ってるから、“そういうことですよ”って言っちゃうけど。
感情に訴えられるように作れるんですよ。作り出そうとするのが舞台だったり物語芸術だったりするし、そういうところに届けられるように作れる。で、そういうことはマジックだから、あんまり直撃を受けすぎちゃダメよって僕は思います。
台本に書いていることは効果を狙ってるからなんだけど、“どかーん”ときたあなたほどは僕は思ってないし、そこまでの意図はない。ただ言葉を投げた。そのなかに、すごく豊かなイメージを汲み取れたのは皆さん。僕が豊かなんじゃなくて、皆さんが豊かだからそのイメージを汲み取れたんだからね。そのパラドクスみたいなものは、皆さん意識しておいてもらっていいんじゃないかなって思います。」
長峰さん「最近、日本の演劇見ていると消費されている感じがして…。私は演劇って可能性があるなと思って舞台美術に入って、今は造形教育もやっているんだけど、最近、何本か市民がやっている舞台を見て、その方が面白いなって思えてきて。で、リアルなんですよね、損得がないというか。演劇の未来の可能性って、地域の劇場の皆さんと刺激をもらいながら作っていく方が真の意味演劇教育だと思うし、その方がいい演劇が生まれてくると思ったんですよね。それは今回の作品を見て、ある意味核心に変わって。
今回皆さんの絵から拾って構築していったんですけど、結果いいものができたと自負していて、舞台美術の原点ってやっば絵だなと思って。舞台美術のワークショップって空間作って終わりみたなことがあるんですけど、今回みたいに贅沢に絵を描いて舞台を作ることは正直無くて初めてでした。今、手描きの舞台美術ってあまりなくて、背景さんもあまりいなくなってしまって、でも明らかに手描きと出力じゃ違って。今回も迷ったんだけど、手描きで描いてもらったのがものすごいパワーにつながっていて、隙だったり雑味はあるんですけど、舞台美術ってその方がよかったりして。丁寧に忠実に作った舞台美術ってあまり面白くなくって、隙間がある方が観客が想像できるんだなっていうのはあったりするんですね。きれいの方に行ってしまう方が安心だったりして、そうなってしまうんですけど、今回の皆さんを見て、次の舞台は墨と手書きでいこうって思いました(笑)。逆に皆さんに教えてもらったというか原点に返らせてもらって、お礼をいいたいです。
さっき感想に出ていたように、皆さんが気付きあう状況もすごくいい空間になっていました。脱ぎ着の手伝いとか舞台上でお仕事としてあるわけだけど、それを無意識にやっている状況って、共同で舞台を作っていくことを自然にやっているということで、とても素晴らしいことだなと思いました。」
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「絵からはじめる劇づくり部」のワークショップはこれにて終了。
「アーティスト・プロと垣根を取っ払って自由な心で時間を過ごす場を提供するのが、公共施設の精神だと思っています。」と辻野こもん。
茅野市民館はそんな場所であり続けたいし、そういう場だと皆さんにも感じてもらえるといいなと思います。
ぜひ、これからも市民館に遊びに来てくださいね。
ありがとうございました!
―本当に本当にありがとうございました! エネルギーというか、やっぱり「もの」の力というか、ちょっとした興奮状態がありますね。
(長峰)「もの」ってやっぱりすごいんですよね。わたし、なぜ劇団四季に入ったかっていうと「ライオンキング」なんです。あれって舞台美術と人間と演出とが対等になってるというか、美術をやる身からすると「美術ブラボー」みたいな舞台で。あれがロングランになってるってある意味すごい奇跡的なことなんです。ジュリー・テイモアって演出家なんですけど、彼女はある意味アウトローというか、もともとは現代美術家なんですよ。映像作家で。そんな彼女をメジャーが指名して、で、衣装とパペットのデザインを全部していて、人間と道具と美術とかが全部カテゴライズできなくて、どっちが衣装でどっちが小道具か分からない、みたいな。だから、美術家目線でいうとすごく理想だし、憧れというか、こんなことができるって最高!って感じだったんですよ。で、今回それができた(笑)。だから大変だったけど(笑)。「もの」と一体化できると、すごくミラクルなマジックが起きるというか。ある意味ちょっとパペットシアターでもあったし、「ライオンキング」と同じことができた。柏木さんのおかげもあって、ありがとうって感じです。
(柏木)パペットとか好きなんですよ。シュヴァンクマイエルとか、世代で。ロベール・ルパージュとかもそうじゃないですか。コインランドリー見てると宇宙旅行に行っちゃうんですよ。昔のアングラは言葉の力で「おまえら想像しろ!」ってやるんですけど、それをルパージュさんは強引に舞台上でやってみせちゃう。あと、ヨーロッパの伝統として、俳優教育の中に人形劇があって、「どうやってこいつを歩かせますか」みたいなことをやるわけですよ。そういうのにちょっとした憧れもあって、で、なんでだろうって自分でボールを握って、こうしてみると……とかって夜、窓に向かってひとりでさ。なにやってんだろうって思うんですけど(笑)。日本の人形劇だと「人形劇」をするんだけど、例えばパッて本を持ってファサ~っと開いて、これをフワ、フワってやるだけで、渡り鳥が飛んでるように見える。なぜそういうのを感じさせてくれないの?って思っちゃうんです。で、今回はフルスペックできるじゃん、みたいな。あのなかの「深海魚」とか、つないであるだけの紙ですよ。あれがああなってるのは(参加者の)あなたたちがやってるわけで。
(長峰)柏木さんがあれをOKにしてくれたのは、そういうベースがあったからですよね。
(柏木)そうそう、だからつくったものは全部出したい。なにひとつ外れているものはない。ただし、みなさんの理解とは違うかもって。僕のほうの理解で、僕が書いたものに全部入れちゃうけど、でもこれは全部必要なものだし、お芝居してくれるものだし、だから出てきてくれなきゃ困るっていうものに、どうしてもしたくて。
(長峰)それって結構稀有というか、なかなか身体だけ扱ってる演出家だとできないと思います。
(柏木)普段はそれしかやってないから。こういうことができる機会がないわけ。
(長峰)偶然できちゃったというかね。紙一枚でね。
(柏木)今の、規模が縮小していっている演劇で、あんな人数出してっていうのもできないし、道具がこれだけあるっていうのもできないし。普通だったらあの「深海魚」は布でつくるわけだけど、でも紙だから面白さが出てくるんですよね。音もいいしね。
―「道具さん」たちをどう見せるか、っていう部分もありましたよね。
(長峰)今回ちょっと思ったのは、もしかしたら「もの」を通して会話をできてたのかもしれないなって。ひとつのものをみんなでっていう美術をつくり、そういう「もの」を通したから会話しやすかったのかなって気がして。「人」対「人」になるとちょっとダイレクトになりすぎちゃうんだけど、間に紙があることでワンクッション和らぐというか、そういう効果はあったのかもしれない。
(柏木)なんか「どうします?」がありましたよね。ふだんの演劇の稽古だと「どうします?」はなくて「こうするんですか?」みたいな感じなんだけど。
(長峰)なんにも言わない「この子」が間にある。「この子をどうする?」みたいな(笑)。
(柏木)この子をこうしろって言われたんですけど、破れそうじゃありません?みたいな(笑)。例えば、子どもが間に入るから夫婦がちょっと円満になる、みたいな効果があったんだろうね。で、袖の反応を聞いてると、みなさん「何々さんのやつだから」って言ってるんだよね。「何々さんのやつだから出したいよね」とか「何々さんが来ないとこれをどうしていいかわからないよね」とか。要するに、尊重しているんですよ。
(長峰)面白い効果が生まれましたね。空間だけをつくってたらあまりそれはできなかったかもしれないけど、持ち道具をつくったのがいい結果を生んでたのかなって、今気づいた。
(柏木)長峰さんと、宮本さんもいたかな、前に話した時に「道具って使わないとつまんないよね」って。美大の卒業制作で舞台美術つくらせるけど、見せて終わりだと。でも扉だったら出てきてほしいし、窓だったら開けたいし。なかには「体験してください」っていうのはあるんだけど、でもそれはさ、違うんだよね。
(長峰)違う違う。やっぱり、使われてるのを見せてもらうことで、より広がるというか、生きてくるという。まあ演劇の力ですね。
(柏木)動かなかったとしても、そこに壁があって、その壁にふっと手をあてて物思いにふけった瞬間に、その壁は芝居するのよ。芝居させてやってくれよ、って話だと思う。そういう意味では、今回芝居してない道具ってほぼないですよね。
(長峰)そうなんですよね。よくぞ。ほんとありがとうございます。
(柏木)見ながらやっぱり考えるんですよね。後ろに「太陽」と「風」が吊りものであって、で、太陽と風にも光が当たって黄色くなったり、ピンクになったり。あれは辻野さんが、そういう演技をさせるわけですよね。照らすことでね。暗示するわけですよ。(本番は)僕は読んでたから、すぐあとで(振り返りのとき)映像で見れて、こうなってんのかって。
(長峰)映像、すごい綺麗に撮れていて、客観的に見れましたよね。
(柏木)ほぼほぼ実寸で見れてるから。
(長峰)一瞬「あれ、いるのかな?」って思っちゃいましたよね。不思議だったよね。
(柏木)で、すごく綺麗なんだけど、3Dで見てる時に見えてくるものと、2Dで映像で見てる時に見えてくるものがまた違うの。
(長峰)光の具合も違うしね。それはそれでちょっと面白かった。
(柏木)やっぱり全部は見れないんだよね。
(長峰)そう。やっぱり実物がね。映像は記録になっちゃうからね。振り返りとしてはよかったです。
―振り返りもとても充実したものになりました。席替えもあったので、普段話していない人とも割とフランクに話せていて。さっきの「もの」を介して、という話じゃないですけど、ひとつのことにみんなで関わったっていう経験を一緒にしているから、やっぱり「つくったこと」を介して話すと、こうなるんだなと思って、実はちょっとうるうるしてしまいました。
(柏木)今回、コンセプトが「頭のなかを覗く」なら、振り返りはすごく贅沢にとりましょうって。で、それはとてもよかった気がするし、考えていたよりもアトランダムに質問が出てきて、それも含めていいなって思って。質問してる人がいる、喋ってる人がいる、なのにあっちの話は止まらない、とか(笑)。
(長峰)そうそう、ザワザワしててよかった。みんなが対話してる、あの雰囲気はよかったですよね。
(柏木)そうですね。僕ね、どっちかって言ったら、ほんとはあれは苦手なんですよ。でも今日はいっかって思う感じで。
(長峰)割とフリートークっぽい感じで、和やか。すっと言葉が出てくるというか、みんな話したいこと話してたんじゃないですかね。あと、あんなに見に来てくれる人がいると思わなかった。(周りに)見せたくなっちゃったんだろうね。なんか最近すごい熱心にやってるけど、聞いても意味が分からないんだけどって。
(柏木)見に来たって意味が分かんないんだけど(笑)。
―始まる前、客席側はシンとしてるんですけど、(舞台の)向こう側からみんなの笑い声が聞こえてくるんですよ。あ~、あっち楽しそうだな~って(笑)。
(長峰)学園祭だよね。
(柏木)学園祭だよね~。
(長峰)ね、疲れたね。楽しかったけど楽しすぎて疲れた。明日からもまた始まる。うん。